モラハラ妻なのかモラハラ夫なのか

モラルハラスメントという言葉が流行ったがそんなことは他人事かと思っていた。

ごく当たり前に幸せな生活をしたかった。
しかし、この「ごくあたりまえ」という感覚が、相手にとっては価値観の押し付けだと取られることもある。
ごく当たり前にと思うこともモラハラを助長するらしい。
相手にも「あたりまえ」があり、私にも「あたりまえ」がある。自分のあたりまえを押し付ければ相手のモラルを傷つける。
個性を大切にすることに価値を置かれて育った世代にとって、ひとりひとりを周りと違うものだと定義するアイデンティティは尊いものだ。
加えて、そのアイデンティティは土地や家族という強固な所属の上にあるものでなく、ちょっと強く押されたら容易につぶれてしまうようなもろさも持っている。

モラルってなんだ?

モラルとは、道徳や倫理のことで、小学生のころに教わる「挨拶しましょう」「優しく温かいこころで接しましょう」「人の気持ちを考えてよいことをしましょう」「みんなできめたことを守りましょう」「仲良くしましょう」などいろいろな行動における価値観や判断、風習などをいうそうだ。
最近は、価値観が多様化して道徳を学校で教えないということも議論される
モラルとして扱われる、道徳・倫理・風習・しきたり・行事・お付き合い・家訓・役割・男らしさ・女らしさ・仕事・子育て…どんなことにも明文化されていないルールがあり、価値観が似ているなかではそれが当たり前となっていた。

女性が社会を知り、ネットで多様な価値観を知る

現代では価値観のおしつけと言われ避難されるが、昭和以前ならば許容されていたことや面倒だとは思ってもいきる上での円満のために我慢したりしていたことが、個人の尊重思想でめちゃめちゃになってきた。
めちゃめちゃというと語弊があるかもしれないが、正解・不正解、善悪が本当に分かりにくくなっており、個を少し否定すると人格ごと否定されたかのように大非難されることが増えていて、モラル面のハラスメントに対してみんなが恐怖を抱き、発言や行動がかなり萎縮してきている。

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