「良妻を持てば幸せになれるし、悪妻を持てば哲学者になれる」と言う言葉は、昔ソクラテスが残した名言だと言われています。この言葉はモラハラ妻をもつ夫はしみじみ感じることだと思います。 モラハラ妻と結婚してしまった場合には、幸福にはなれず、モラハラ妻をどのように取り扱えば人生が少し楽になるのか、自分の人生は何のためにあるのかなどを考える機会が多すぎるので、哲学者によります。モラハラ妻の対処法では心理学的なアプローチが重要と言う意見もありますが、心理学を通り越して「哲学」も重要であり、モラハラ妻の対処をしているうちに夫側は自然と哲学をしています。
モラハラ妻との生活と「哲学」の関係性
Wikipediaによると、哲学とは、「人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。また、経験からつくりあげた人生観」と要約されています。自分の人生観について、不覚とはなければならない場面が多すぎるのがモラハラ妻との結婚生活です。
結婚する時には、相手を愛して相手から愛されるという関係性でしたが、その原理が失われて、無秩序な感情に振り回される毎日があります。
結婚というのはお互いが支え合うという前提のもとに行われているのですが、そのように近いあったはずなのに、モラハラ妻とは支え合うという関係性を構築することができません。
「良妻」と「悪妻」の違い
ソクラテスが残した「良妻」という言葉は、結婚したパートナーのことをごく普通に支え合い、尊重し合えるということが重要であると思います。人間には理性があり、どのようにすればうまくいくのかという考えが働きます。しかし悪妻と言われる人間には普通の理性がなく、相手を脅したり、相手の弱みにつけこんだりして法的に自分の主張を認めさせたり、理不尽な要求を突きつけ続けたりすることで、良心的な理性がありません。理性にも良心的な理性と、悪い理性があり、悪い理性を働かせて事実を捻じ曲げたり、判断基準を毎回変えることで 相手を戸惑わせたりするというような理の使い方もあります。
このような理不尽な妻をもってしまうと幸福には程遠い結婚生活になります。
モラハラ妻からの理不尽の連続は、打ち勝つための哲学と動機が必要
理不尽の環境から逃げられないと、人間はその理不尽な環境の中にも何かの原理はないかということを探り、色々な思考を巡らせて自分を納得させたり自分が幸福であるという風に結論づけたりしないと、生きている意味が分からなくなってしまいます。モラハラ妻が結婚相手である場合、このように哲学的な思考を持たないと、自分の生きてる意味や、なぜストレスの中で今の生活を維持しなくちゃいけないのかを動機づけることができません。
「良妻を持てば幸せになれるし、悪妻を持てば哲学者になれる」と言う言葉は、「良妻を持てば幸福になれるし、モラハラ妻を持てば哲学者になれる」にも当てはまります。
おそらくモラハラ妻を持っている夫は、普通の生活をしている人の何十倍も自分の人生の中の秩序や理不尽な処遇の中での幸せな生活について考えに考え抜くことで生き残れます。
モラハラ妻を持つと哲学者になれます。哲学的な思考以外の方法ではモラハラ妻の言動を受け続けることはできません。