感染症の蔓延防止や大きな災害の後など、みんな自粛ムードで他人に配慮した生活していると、自分勝手な考え方をしている人が露骨になります。普段ニコ厨に振る舞ってる人は、周りの空気を読むという感覚がないので、周りが自粛の中、自分だけが他の人と違った行動をしてしまっていても、他のコミュニティや世間からとことんたたかれるまで気付くことがありません。そんなモラルの欠如した自己中な行動と、責任や自覚を意識させる対処法について考えます。
周りの空気に合わせられない自己中モラハラ
災害の後や感染症を広めないための努力など、周囲と足並みを揃えながらみんなが少しずつ我慢をしてしのいで行かなければならないときがあります。こういうときって、世帯とか会社とか地域とか、いろいろなコミュニティ単位で行動をみられてしまうのです。自覚なく自分さえよければという潜在意識の人間がいると、コミュニティ内で止めた人もその自己中な行動をする人に注意をした人でも、あそこの家の人は何なんだ、あそこの地域の人たちは自覚が足りないなどと、その個人ではなく家や地域でひとまとめにされて判断されてしまいます。自己中なモラハラ気質な人は、このような日本人の性質を知ってか知らずか、周りに足並みを揃えるわけではなく、自分のしたいことをしたい時に行い、何かあれば何のせいにしながら平然と過ごしていられるのです。
何か問題が起きても自分の責任ではないと言い張る
自己中でモラルの欠如した人は、みんなのこと思って我慢をしている人や悲しんでいる人たちが、どんな思いで過ごしているか、どんな気持ちで今この時を生きているのか、そのようなことへの配慮は本心としてはありません。なので、周りのみんなが我慢をしていても、こっそり自分だけが我慢せず自分勝手に過ごしていて見つからなければ別に構わないと言う潜在意識がある状態です。
周りの人が我慢をしている中、自己中に振る舞ったことで周りに大きな迷惑をかけたとしても、たまたまこんな風になっただけ、本気で止めてくれる人がいなかった、他にもやっている人がいるなど、自分の責任は認めず言い訳をして、我慢をしている人たちにさらに精神的な負担をかけてしまいます。
自己中な人の行動を止めるための対処法とは
日本人はもともと空気を読みながら世間の目を気にして生きてきた民族だと思います。思想や生活様式が自由になるに従って、一人一人のライフスタイルや考え方の選択は尊重されるようになってきました。普段は、多少自己中な人がいても多様性だということで甘く見られていますが、緊急事態のときや、人の命が関わる時などには、自分勝手な行動を許すことができない国民性が残っています。自己中な行動をして多大な迷惑をかけた事例などを示しながら、自己中な行動で身近な人大切な人が一生傷つき、一生負い目を感じながら生きていかなくてはいけないということをモラルの欠如した自己中な人に少しでもリアルに感じてもらうようにすることが対処法だと思います。また、どう考えても世間の流れに沿っていないような、一歩間違えば多くの人を傷つけてしまうような遅いような状態の時には、その本人だけにしか責任がないということをよくわからせて、自己中な行動を起こそうとすること自体が周りから白い目で見られることなんだということを感じてもらわなければなりません。自由な選択をすることは責任を伴うのですが、誰かが責任を取ってくれるという状態を壊さなければ解消されない自己中もあると思います。但し自己中な方に限って、その責任のとても浅いのですよね。