ありがとうという言葉や感謝の気持ちを持つことは、一般的な道徳では良いこととされています。
言えた方がいいことですし、恩を感じさせるためにやったことじゃなくてもよかれと思って相手のためにしてあげたことに対してありがとうと言われれば気持ちよいものです。
しかし、モラハラ妻はごめんなさいとありがとうをいうと、自分が負けたと感じる思考回路があります。
ありがとうとごめんなさいがモラハラでは欠ける
夫婦という関係だとしても、自分に自信がないからなのか、親の影響なのか原因は分かりまでんが、相手の価値観に寄り添うことが屈辱になり、形式的にもありがとうやごめんねが言えないようです。
例えば、夫がありがとうやごめんなさいを言うと、モラハラ妻は追い討ちをかけるように『こんなにいいことをしてあげてるににこの間は私のことを侮辱したんだから謝れ!』とか、『本当に感謝しているのならこれから一ヶ月間私を怒らせるようなことはするな』などの脅迫がついてきます。
感謝や謝罪の言葉をお互いに言える自然さ
ありがとうやごめんなさいを言わせたことで自分が有利になったと思うのでしょう。
しかし、大抵の場合はごめんなさいとは言うケースでも100%どちらか一方が悪いということはなく、ごめんなさいに対して、相手からも私もごめんなさいというレスポンスを求めています。
ありがとうに対しても、どういたしまして、お互い様ですという相互関係を確認し合うことで、関係性を維持していると思うのですが、モラハラ妻はこれが円満に亀裂を生む方向に進みます。
モラハラは相手のありがとうやごめんの価値を否定する
モラハラ妻の原動力は、夫婦や家族の幸せというより、常に自分の劣等感の補てんや、相手が頑張ろうとするときに自分の劣等感への引きずりおろしにあるようにおもえます。
夫をライバル視したり、自分と同じ価値観を持つ人以外は排除したりします。
夫に自分よりも恵まれた人脈や能力があれば、それを使えないようにして自分の方が上だと示そうとしたり、自分よりも子どもが夫になつきそうになると夫の悪口を吹き込んだり、夫と子どもが仲を深めないように自分の実家に子どもを連れて帰り物理的に距離をおいたりします。
モラハラで出産したことを引き合いのだされると夫はなにも言えない
当たり前ですが、どんなに理不尽な攻撃をされても、子どもを産んでくれたことには感謝ですし、お互い足りないところを補い、認めあいながら歩んでいきたいと思っても、建設的な努力の方ではなく、足を引っ張ったり、相手の自信をなくさせたりという陰険な行動は気持ちが冷めます。
モラルってなんなんでしょうね。
ありがとうっていうと、ありがとうっていう。
ごめんなさいっていうと、ごめんなさいっていう。
なんかACのCMにあった気がしますが、そんなんでいいんです。
ちょっとしたことですが、さっとこの言葉が出てくるだけで相手を認めているという気持ちをお互いに持てる気がします。